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Japan Association for Educational Innovation
有限会社クラびクラ勤務(2004年3月〜9月)
小学校1年生から現在まで野球一筋の人生を送る。大学3回生の時に野球部主将を務める。2回生の時に「大きな挑戦がしたい!」と国際ボランティアに参加、フランスに赴いた。全く外国語が話せないうえに初めての海外だったが、ひとりで日本を飛び出した。2004年3月〜9月の6ヶ月間、アントレターンに参加。
っかけは瀬川さんが大学3回生の時。参加したインターン説明会で、インターン学生がその経験を語る姿が衝撃的だったという。「(インターンの経験を語る)彼はすごく自信に満ち溢れていたんですね。それを見て、負けていられない、彼みたいになりたい、って強く思いました」。
この当時、瀬川さんは自分に自信がなかったという。将来の夢もなかった。しかし、ここで「彼のように、自分に自信をつけたい」と感じたことがきっかけで、瀬川さんはアントレターンに踏み出した。瀬川さんのアントレターンの参加目的は、次の2点。それは、アントレターンに参加し社会で実績を残すことで、自分に自信をつけること。そして、仕事をやり切ることで、人生をかけてやりたいものを見つけるということである。
アントレターンで企業に入ると、学生は企業からお客さん扱いをされるわけではない。主体的に動き、成果を出してその企業に貢献することが求められる。そこはビジネスというシビアな場である。しかし、大学にいては知り合う事のなかった人生の師匠に出会い、また自分のやりたいことを発見できる最高の機会でもある。そんなアントレターンの期間に、実際に瀬川さんは何を体験し、どう考え、そして何を得たのだろう。瀬川さんにインターン中の活動について聞いてみた。
川さんのインターン先は有限会社クラびクラ。担当業務は出張フェイシャルエステ事業の立ち上げだった。瀬川さんはゼロから企画を練り、営業をこなし、顧客を開拓するという大きな課題に取り組んだ。
瀬川さんは、アントレターン中ずっと葛藤を続けていたという。「仕事は初めてのことばかりで。企画書の書き方にしても、これであっているのかとひとつひとつに戸惑いました」。
仕事が思うように進まないという状態。また、彼はアントレターンと平行して就職活動も行っていた。就職活動を続けながらも、自分の納得のいく生き方や将来やりたいことが分からないことで不安も膨らむ。「うつに近い状態に何度もなりました」。就職活動を続けても、やりたい事が見えてこなかった。大手企業や、安定した公務員への興味。企業から内定ももらった。しかし、どれも心から納得してこれが自分のやりたいことだと言えるものではなかったという。
「それで、4回生の4月に一旦就活をやめたんです。就活まっさかりの時に。就活ではどれだけ動いても(やりたいことを見つけるための)進展がなかったので。でもアントレターンをやり切って、仕事の実績を残せば(やりたいことが)見えてくると考えました。ここで、立ち止まる勇気があったんですよね」と瀬川さんは振り返る。
川さんが有限会社クラびクラを選んだのは、クラびクラの宮原社長の人間的魅力が大きかったという。宮原社長ってどんなお方ですかとお聞きすると、「器の大きい人ですね。在学中にユーラシア大陸を横断していたりして、いろんなものを見て来てるからとても視野が広い。心から尊敬しています。」と教えてくれた。社会の第一線で活躍している人の近くで働けるのも、アントレターンの魅力。瀬川さんが仕事や将来への不安で落ち込んだ時も、宮原社長が親身に相談に乗ってくれて立ち直ることが出来たという。
また、瀬川さんはアントレターン中に日本人初のNBA入りを目指しているプロバスケットボーラー森下雄一郎さんに出会う。彼の生き方から出た言葉、「地球のために生きてください」という言葉が心に響いた。この出会いがきっかけで瀬川さんは、「こんな自分でも何か地球のために役立てる事はないか」と考え始める。アントレターン期間中の宮原社長とプロバスケットボーラー森下雄一郎さんとの出会いが、その後の瀬川さんの生き方に大きな影響を与えることとなる。やりたいことを見つけるのに、この期間の人との出会いがとても大きかったという。
川さんは来年7月から2年間青年海外協力隊隊員としてルーマニアに行く。ルーマニアでは子どもから大人を対象に野球のコーチをする。ルーマニアでの目標を尋ねると、枠に当てはめることのない、一人一人の個性を引き出すコーチになりたいと強く語ってくれた。
「一人でも多くの人に野球を好きになってもらいたい。ルーマニア人に人生で一番楽しい瞬間ってどんな時って聞いたら、それはコーチと野球をしている瞬間だって言ってもらいたいですね。そうしたら本当に嬉しい」。どうして青年海外協力隊なのかと尋ねると、地球に貢献したいという想いと、宮原社長とのやり取りの影響、そして自分の特技が青年海外協力隊に結びついたのだそうだ。
「必死に自分の納得のいく道を模索した結果、結局好きなことに戻ったということですね」。瀬川さんは青年海外協力隊の期間が終了したその後もずっとルーマニアで野球振興に関わることを計画している。
一杯取り組んだアントレターンだったが、瀬川さん曰く心残りがあるという。「クラびクラには結局は貢献出来なかったんですよ。宮原さんにお返しできなかった事が引っかかっています」。実は、瀬川さんは自分の担当業務だった出張フェイシャルエステ事業の立ち上げを成し遂げるとこが出来なかった。だから自信をもってアントレターンをやりきったとは言えないと話す。「でもその分、これからお返ししていけばいいと考えています。宮原さんとの縁はアントレターンの期間だけのものとは思っていません。一生涯お世話になりたいと考えていますから」。
学時代の貴重な時間をアントレターンに費やした瀬川さん。アントレターンを終えた今、その期間をどのようなものだったと考えているのだろう。「アントレターンは自分の人生を変えてくれたものだと確信していますね。将来への希望や生きる道をアントレターンの期間に見つけました」。瀬川さんは、人との出会いというのが本当に大きかったと語る。アントレターンという経験、その間の葛藤と模索が、将来本当にやりたいことを見つけることにつながった。
んな人にアントレターンに参加してほしいですかと聞いてみた。「自分みたいな人ですね。自分に何ができるのか、何がやりたいのかはよく分からないけれど、でも本気で自分の人生を充実させたいと思っている人にこそ参加してほしい。想いだけは誰にも負けないという人ですね」。瀬川さんはアントレターンを自分の道を見つけるためのいい経験だったと語る。
最後に、これからアントレターンに参加する学生に一言くださいと頼むと、気持ちを込めて、この言葉をくれた。「挑戦してください」。アントレターンという通過点を越え、次の舞台を見ている瀬川さんの今後の活躍が楽しみだ。
インタビュー日 2004年10月21日
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